超Aboutな旅日記

訪れた史跡を片っ端から、適当にレビューするブログです。

【レビュー】滋賀県の外国人が作った日本最古のダム、オランダ堰堤

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最近、マングローブ森林伐採の記事があった。

マングローブ林とは熱帯の汽水域にある低木の集まりで、海からの風やさ波から陸地を守るなど、現地の人にとっては大切なものだ。

しかし林をエビの養殖地に変えたり、多くの木を製材にするなどして森林が減少しつつあるという。

結果的に台風の高波を防げず、陸地に住む何万人もの人や家や家畜が失われるなどの被害がでているらしい。

こんな感じの乱伐の問題は日本でも昔から往々にある。

例えば、昔の滋賀県もちょうどそんな感じだった。

奈良から平安時代にかけて寺院・仏閣のために大量の材木が京都や奈良に運ばれていたため、山は荒れて禿山になり、明治に至るまで度々大洪水が起きていたという。

さて、当時の役人はこの問題にどう対処したのだろう。
明治政府はオランダ人の技師の協力の元、堤防を作ることにしたのだ。

これが今回紹介する「オランダ堰堤」である。

まずはどこにあるか見てみよう!

 

 

アクセス

Google MAPでどこにあるか確認する。

見ての通り、四方が森に覆われた場所にある。

辺鄙な場所であるゆえ、バスを乗り継いでいかなければならない。

とりあえず、「上桐生線」というバスに乗れば目的地まで一直線だ。

歴史

近くにあった案内板には以下のような言葉があった。

この一帯の森林はヒノキの美林であったが奈良時代から平安時代にかけて、寺院・仏閣の造営に大量の材木が奈良・京都に伐り出された。このため、山は荒れて禿げ山になり、明治に至るまで大洪水がたびたび起こり、下流の人々に大きな被害を及ぼし続けた。そこで政府は、明治六年「淀川水源砂防法」を制定、淀川水系の治山治水工事に着手しオランダから砂防工事の技術者ヨハネス・デレーケ氏を招いた。ここに現存するえん堤は、明治二十二年同氏の指導の下に作られた割石積えん堤で、わが国最古のものと言われている。なぜ、百年以上も経った現在もなおその機能を発揮し続けているのだろうか。その理由としては、水襲(下流側)の放水路面がアーチ型になっており、中央に水を集めることで、両袖部が削られにくい構造であることや、えん堤下流面を階段積み(鎧積み)にすることで、流水が階段面に当たって衝撃を称らげ、水部の洗掘を防止する構造であることなどが考えられる。現在もなおその効力を発揮している巧みな構造技術であり、生きた遺跡ともいわれ、日本の産業道三百選に選定されている。

出典:「オランダえん堤」滋賀森林管理署 現地案内板 平成13年12月 

案内板によれば、オランダのヨハネス・デレーケ氏の指導のもと建てられた、日本最古の堰堤であるとしている。

そういえばオランダと聞くと、ある言葉を思い出す。

「世界は神が作ったが、オランダはオランダ人が作った」という格言だ。
オランダは干拓によって国土を広げ続けた国。ある意味人工的に作られた国家ともいえるかもしれない。

例えば、首都アムステルダムの地名の由来は「アムステル川のダム(堤防)」という意味からも分かると思う。

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Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/アムステルダム

しかし干拓の影響で海抜が低い場所が多く、水による被害が多かった。
そんな背景もあり、オランダの水害を防ぐ、治水技術はとても高い。

こんなすごいテクノロジーを取り入れているのだから、堰堤は当時の政府肝入りの事業だったのだろうか?

閑話休題

まずはそんな治水技術の匠の一人、ヨハニス・デレーケを紹介していきたい。

ヨハニス・デレーケとは?

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農林水産省::https://www.maff.go.jp/j/nousin/sekkei/museum/m_izin/toyama_02/index.html

お雇い外国人という言葉は聞き覚えがあるだろうか。

簡単に述べれば、欧米の技術・学問・制度を取り入れて強い国家を作るために雇用された外国人のことだ。

彼もその制度の一環で、1873年明治6年)6月に31歳でオランダを離れ日本まではるばるやってきたという。

彼は河川の改修など治水の分野でさまざまな功績をあげた。

例えば、木曽川の工事が有名だ。

スペインの闘牛よりも猛々しい暴れ川だった木曽川も、おかげさまで洪水などの事故を大幅に減らすことができたという。

そんな日本の治水界のヒーローの彼が「上流域で砂防する」目的で建てたのが、「オランダ堰堤」だ。

実際、どのような構造になっているか見てみることにしよう。

オランダ堰堤の構造

オランダ堰堤は100年以上経った今でも現役だという。イナバ倉庫もびっくりだと思うがなぜ長生きなのか。

理由としては2つの構造が関係している。

1.放水路面がアーチ状になっている

2.えん堤が階段状になっている

1に関しては、水が流れる部分が中央に集まることで、堤防の端が削られない構造になっている。

2に関しては階段面が衝撃を和らげ、地面が削られるのを防止しているのだという。

これのおかげで現在でも活躍できているのだ。

さて、次は実際に現地に行ってきたので感想を述べていこう

現地レビュー

本当は京都からママチャリでここまで来たことをものすごく話したいが、多分それだけで日を跨ぐことになりそうなので割愛。

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今時刻は早朝。小鳥は目を覚ましたのか、元気にさえずりだし、草葉の朝露が輝いている。

周りが山に囲まれているのか、自然の風景を精一杯楽しめる。

これに目をつけてか、オランダ堰堤がある場所はキャンプ場になっていた。

だからなのかカラフルなテントが点々と並んでいる。中には朝ごはんの支度をしている方もいらっしゃった。直火で焼いたソーセージの匂いが私の鼻をくすぐるが、ここは我慢して先に進もう。

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こんな感じのあぜ道をせっせこ歩き続けると、川が見えてきた。

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やはり人間の手が何も加えられていないのか、バカラのグラスと同じぐらいの透明感がある。

何かよくわからない謎物質Xが浮いている、どこかの都会の川とは大違いだ。

そんな綺麗な川の正面には、どこかのヨーロッパの古城にありそうな石積みがあった。

これが噂の「オランダ堰堤」だ。

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もう少し大きいものだと思っていたが、じっさいは予想より一回り小さかった。

しかし、ところどころ苔がかったところとがあるからなのか、やたら歴史というか貫録を感じてしまう。

少し近づいてみよう。

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先程話したと思うが、堤防を丈夫にするために少しアーチ状になっている。

また階段状になっているのも見応えがある。石の一つ一つが不揃いで古墳の石積みみたく少しデコボコになっているが、これも人間臭さが残っていて逆に良いと思う。

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最後、帰路の途中ヨハニス・デレーケさんの銅像が鎮座していた。今も陰ながら日本を見守ってくれているのでは、と感じる。

今日の報告は以上だ。

引用・参考

富山県 農林水産部 農村整備課 計画係「内務省技術顧問 ヨハネス・デ・レーケ」 農林水産省 2021年12月20日

https://www.maff.go.jp/j/nousin/sekkei/museum/m_izin/toyama_02/index.html

「お雇い外国人」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』 2021年12月20日

アムステルダム」 『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』2021年9月28日 
https://ja.wikipedia.org/wiki/アムステルダム
「ヨハニス・デ・レーケ」 『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』2021年9月28日

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ヨハニス・デ・レーケ
「オランダえん堤」滋賀森林管理署 現地案内板 平成13年12月