超Aboutな旅日記

訪れた史跡を片っ端から、適当にレビューするブログです。

【レビュー】京都最古のマンホール?なぜこんなところにあるのか、徹底レビュー

マンホールは地域によって様々なデザインが存在する。例えば、京都市では御所車(牛車)を用いたデザインとなっている。

このようなおしゃれなものとなっているが、実は大正時代のマンホールが存在する、レアな場所が京都のどこかにあるらしい。今回はここをレビューしていきたい。

 

アクセス

まずはGoogle MAPで確認していこう。

京都御所のすぐ真北、某女子校のすぐ近くにある。

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しかし以上のように住宅地の真ん中にあるので、もし見物する際は周囲への配慮が必要かもしれない。

歴史

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そもそもマンホールというものは地下の下水道などの管理のため、作業する人が中には出入りできるように開けられた穴とそれをふさぐ蓋だ。

つまり地下に流れる水などを管理するために作られるのが、マンホールというわけだ。

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今回のふたは端の方に「下水」と書かれているのがわかると思う。

だから京都が下水道を設置する時、その管理のために作られたと考えるのが普通だ。

しかし、京都市上下水道局のホームページを見るとこのような記述がある。

京都市の下水道を作る法律が初めて作ららたのが、『大正15年』だとしているのだ。

こんな感じで時代的には少し違うものとなってしまう。

頭の中が和食懐石並みに少ない私では、これ以上考察しようがないので、実際に京都上下水道局の方に聞いてみることにした。

「マンホールについて聞きたい」
といきなりのたまうヤバい奴に対しても、丁寧に質問に答えて下さった水道局の方には謝辞を申し上げたい。

作られた経緯

水道局の方が仰ったことをまとめると以下のようになった。

結論から述べると、このマンホールは大正時代、道路に埋められた水路を点検するために作られたという。

まず背景から述べていこう。

昭和初期の下水道が作られる前、雨水を川に流す水路が作られていた。

ある日、この上に道路を作ることになり、水路を埋めることになった。

埋められた水路を点検するために、このマンホールのふたが設置されたというわけだ。

まとめると下水道が整備する前にあった雨水を川に流す水路が地下化した際、それを点検するために設置されたという経緯があるという。

設置されている場所について

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まずはGoogle MAPのストリートビューを見てほしい。

ちょうど曲がり角にある。

曲がり角というものはトラブルが絶えない場所だ。

食パン加えた女の子がよくぶつかっているのが、簡単に想像できる。

下水道や水路の世界でも同じように不都合が多い。
水路などでは水が激流のように流れる。
その流れをむりやり止めてしまう場所が「曲がり角」というわけだ。
これはちょうど、全速力を出した車がいきなり曲がれないのと大体一緒だ。

こうなると水の流れが悪くなってしまい、さまざまなトラブルを誘発する。

頻繁に確認できトラブルがあればすぐ対処できるために、このマンホールを曲がり角がある場所に設置してあるのだ。

 

現地レビュー

私はマンホールのふたが大嫌いだ。

というか、バイクや原付に乗る人は共通だと思う。

マンホールはタイヤが滑るからだ。

タイヤが滑れば、高確率に転倒してしまい、自分はけがするしバイクは傷がついてしまう。

こんな感じの訳でマンホール憎しの私がお送りいたします。

それでは初めていこう。

京都といえば?と聞かれれば、京都市民は一斉に答えるだろう。

京都御所』と。

そう、江戸時代まで京都は天皇陛下がお住みになっていた場所だ。だからその住居であった『京都御所』は、市民にとって誇れる場所なのだろう。

まあ、今日はここを紹介するわけではない。『京都御所』のすぐ北にある、大正時代に造られたマンホールのふたとかいう、一部のマニアしか喜ばないところをレビューしたい。

まずは近くまで歩いてみよう。

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やはり御所に近いから、歴史的な場所も多いみたいだ。

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今は住宅地しかないが。

少し気になるのが、この住宅を建てた時の値段だ。

京都や奈良のような歴史的な都市は、家を建てるさいに文化財が眠っているか調査する必要がある。

しかももし見つかれば、本格的な調査費用は個人に請求されるのだから驚きだ。

ここも『京都御所』に近いから、さぞマーベラスな宝物があるだろうから、まあまあな費用を負担したのではないか?

そんな野暮なことを考えてつつ歩いていたら、ついに今回の目的を発見した。

これが京都にある大正時代のマンホールだ。

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昔は横書きの場合、右→左に文字が書かれていた。

よく戦前の新聞や雑誌でも見かける。

今回も例に漏れず、右→左へ「大正五年」と書かれていることがわかる。

細かいがここからもマンホールの歴史を感じられる。

もう少し近づいてみよう。

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大正時代からあるはずなのに、私たちの身近にある有象無象のものと質が全く変わらない。

意外と大正時代の技術も捨てたもんじゃないかもしれない。

実際に飛んだり跳ねたりしてもびくともしなかった。ものすごく頑丈に作られているようだ。

京都はなぜか今回のような古いマンホールのふたが他にもいくつかあるらしい。

京都の文化財に見飽きた物珍しい方は是非探してみては?

引用・参考

京都府 「マンホールふた デザイン・コレクション」2021-12-8 https://www.pref.kyoto.jp/gesuido/16400033.html

京都市上下水道局 「京都市の下水道の歴史」 『キッズページ』2018年7月30日 2021-12-18 https://www.city.kyoto.lg.jp/suido/page/0000116329.html

「マンホール」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』 2021年9月29日 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/マンホール

「マンホールの蓋」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』 2021年9月29日 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/マンホールの蓋