【レビュー】下関にあったイギリス!?旧下関英国領事館の歴史
イギリスの外交は、それはそれは目を見張るものがあった。
どこかのアフリカでは原住民に天然痘がついた布団をプレゼントをし、中国では麻薬を売って大儲けし、貿易をやめようとすれば、開戦して無理矢理要求を呑ませた。しまいにはパレスチナをあげる内容をユダヤ人、アラブ人、フランスにそれぞれ同じ約束をし、現在のパレスチナ問題の原因もしっかり作った。そんな目的のためなら容赦がない紳士の国、イギリスであるが、この国が建てた建築が山口県にあると言う。
興味があれば、是非ご覧頂きたい。
詳細
さて、まずは旧下関総領事館について簡単にまとめてみよう。
まずはどこにあるか、Google MAPをみよう。
詳細
- 開館時間は9:00〜17:00
- 入場は料金は無料
- 2階は喫茶・パブなどの飲食店が併設
歴史
まずはこの建物について書かれていらものがあったので、引用しておこう。
下関英国領事館は、第一次日英同盟締結直前の明治34年(1901)9月、赤間町26番地に開設されました。駐日英国公使アーネスト・サトウの本国への具申によるものでした。
開設時は仮の領事館として商店であった小さな日本家屋を使用していたことから、明治39年(1906)12月、現在地に領事館を新築し移転しました。大正11年(1922)まで専任の領事が着任し、その後、領事代理による事務が行われましたが、日英関係の悪化により、昭和15年(1940)に業務を終えました。
建物は、戦後の昭和29年(1954)
に下関市の所有となり、さまざまな用途で利用されてきましたが、近年
では文化財建造物として大切に保存するとともに、内部を公開するなど
して積極的に活用しています。引用:旧下関英国総領事館
少し長いのでまとめると、アーネスト・サトウさんという方がイギリス本国に具申して建てられたそう。
これから日英関係が悪化する1940年まで、日本の領事館として使われ続けた。
ちなみに領事館として使用するために建てられた建築としては、日本最古だという。
領事館とは?
まずは大使館について説明しなければならない。通常は派遣先の国の首都におかれ、外交活動の拠点としている(Wikipedia )。
これに対し、領事館も役割は一緒である。しかし、異なる点は首都とは別の主要都市に建てられる点だ。Wikipediaによれば、不測の事態にはリスクを分散しつつ大使館の機能をスムーズに移転できるため、地理的な便益のために設置されるという(Wikipedia)。
アーネスト・サトウも地理的な便益のために、「下関総領事館」の設置を具申したそうだ。
経緯
(Wikipedia 2007年3月3日)
アーネスト・サトウはイギリスの外交官だ。英国の公使館で通訳、駐日大使を務めた方である(Wikipedia)。翻訳者、公使として日本と深く関わりがあった。彼は下関港と門司港を評価し、英国領事館の設置をすすめた。
例えば、このような報告書を本国、イギリスに送っている。
"下関港と門司港は、ひとつの港湾の呈
をなしている。この地域の貿易は近年発
展を遂げ、今後更なる増大が見込まれる。
この点を考慮し、英国商人の権益を保護
するため、門司か下関のどちらかに関門
地域の海事監督業務を管轄する領事の駐
在が必要と思われる"
明治32年7月20日付
(「下関の開港から英国領事館設置へ」 現地のポスターをもとに作成)
そして1901年。英国国王は日本政府に委任状の送付及び認可を要請し、ついに下関総領事館が設置された(「下関の開港から英国領事館設置へ」)。
建築について
この領事館を建てた人物はウィリアム・コーワン(William Cowan)。
特徴については下関市のホームページが詳しく述べている。以下抜粋。
本館の外観は、赤煉瓦を基調に開口部廻り等の要所に石材を用いた形で、南面を除く三方に煙突をもった階段状の壁をつくる点や、南側にアーチと列柱をもつべランダを設ける点に特徴があります。
また、内容は各執務室や居住空間として使われた部屋にそれぞれが暖炉が設けられ、天井にモールディングや中心飾りがあるなど意匠もよく整っています。附属屋は、煉瓦造平屋建、建築面積77.6平方メートル、桟瓦葺である。東西棟で横長の切妻造建物の南面東端に片流れ屋根の小建物が付いた形で、全体でL字型の平面になる。外観の意匠は、本館にならってそれを簡略化した形になる。ただし、切妻造部分の南側では、腰壁より上部の壁面を木造でつくり軒裏を網代(あじろ)天井とする等、本館とは異なる形にしている。内部は、もと使用人の部屋や物置・台所・便所等であったが、近年の工事によって喫茶室として利用するために改修されている。
引用:下関市 2014年7月30日
とりあえず大きな特徴は赤煉瓦を基調にした建物だということだ。
色自体も深みが増したワインのような赤で大変綺麗だが、レンガの積み方にも少し注目したい。
目を凝らして見れば分かると思うのだが、長いレンガブロックだけの段と短いブロックの段が交互に積み上がっているのが分かる。これを「イギリス積み」だというらしい。
なんでも煉瓦の積み方の一種で、レンガブロックの長手(直方体のサイド面のうち、一辺が長い方)だけを並べた段と小口(煉瓦の切断面)だけを並べた段を、交互に積む方法で、強度が強く経済的だという(建築データベース)。
イギリスの建築家が建てたから、このような積み方になったのか。
どちらにしても興味深い。
一通り説明が終わったので、次は現地でのレビューをやっていきたい。
現地レビュー
私は昔からレトロな建物が好きだった。特に木造建築か鉄筋コンクリートがお箱の日本に、異国情緒あふれるレトロ建築はいつも私の琴線に触れていた。
そんな中、レトロな建築が集まる下関の南部町は憧れだ。
特に気にいっている建物が一つある。
それが今回の「旧イギリス総領事館」だ。
まずは外からベランダを覗いてみよう。
なんとも特徴的なのは、アーチと列柱だ。
この形を見ると、シリアの「パルミラ遺跡」を思い出す。
紀元前3世紀のローマ帝国の都市遺跡なのだそうが、列柱がきれいに並ぶ様は写真を見ただけで荘厳さが伝わってくる。
もちろん、この領事館は柱の数は少ないし、大きさもゾウリムシ並みに小さいがそれでも立派に見える。
次は入口に移動する。
中庭は少し小さいようだ。
とりあえず、中に入ってみよう。
ここが当時の領事がいた場所のようだ。
昔のフランスはルイ14世の散財で、ヴェルサイユ宮殿なるものが建てられたらしい。部屋の一つ一つが金で輝いていると聞いたことがある。
確かにすごいが、個人的にはこんなやたら高級感を前面に押し出したものより、シックながら高級感があるこの部屋が好きだ。
特に気に入っているのがこの暖炉だ。
真ん中に大きく、聖エドワード王冠と盾を記した紋章がとても印象深い。
続いて2階に行ってみよう。
もともとは寝室だったそうだが、現在はカフェに改装されていた。
本場のイギリスの建築で紅茶を飲むのも、特権階級になった気分に浸れて良いと思った。
しかし、値段を見てビックリ。
紅茶が一杯、400円くらいした。
最近出費が多く、財布の中がレシートの山ぐらいしか無い私には少々酷なものがあった。
しかし、店員さんに中を撮って良いか確認したところ、OKをもらったので、これもついでに載せておこう。
なかなか落ち着いていて良かった。
私の財政が健全化したら、また来たいと思う。
まあ、今はジンバブエやナウルよりもお財布事情がしれているのだが…
以上、「イギリス領事館跡」からのレポートだ。
引用・参考
「大使館」 『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』 2021年11月29日
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/大使館
「領事館」 『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』 2021年11月29日
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/領事館
「アーネスト・サトウ」 『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』 2021年11月29日
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/アーネスト・サトウ
下関市 「旧下関英国領事館の建築について」 2014年7月30日 2021年11月29日
http://www.city.shimonoseki.lg.jp/www/contents/1179448344263/index.html
(株)クイック 「イギリス積み」 『建築・設備求人データベース』 2021年11月29日
https://plant.tennavi.com/dictionary/cat04/5415/
旧下関英国総領事館 「当館の利用について」2021年11月29日
http://www.kyu-eikoku-ryoujikan.com/rules/
旧下関英国総領事館 「旧下関英国総領事館」 現地案内 2021年11月29日
旧下関英国総領事館 「下関の開港から英国領事館設置へ」 現地ポスター 2021年11月29日
「アーネスト・サトウ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』 wikipedia掲載画像 2007年3月31日 2021年11月29日 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ファイル:YoungSatow.jpg